映画「あめつちの日々」工房撮影初日

この映画のために約2年間の間、工房に短期滞在を重ねていました。
松田米司工房に初めてカメラを入れされてもらった初日のことは明確に覚えています。

撮るぞと決めたものの特に計画はいつものようにありません。
陶器の事も親方の事も私は何も知らないのですからシナリオも書けません。
米司親方は一度も「何を撮るのか」と聞きません。常に穏やかな笑顔です。

初日も見慣れぬ異空間的異物が1名混入したことにも関わらず米司工房は穏やかでした。
職人さんたちは敏感で各々の仕事をしていてもカメラの存在を感じている空気です。
だからといって何がおこるわけでもありません。笑い声が工房に響きます。
私が考えられる日常を保ち仕事は進められていきます。

そういう空気にしてくださっているのでしょうか。それは私にはわかりません。
カメラを持ち込んだ初日にこのような状態でいられるという事が、
どれだけ難しい事であるか….撮影者でしたら理解していただけるかもしれません。

沖縄最大という登窯、空、緑、土、親方たちとお弟子さんたち、元気すぎる蝉の音。
囲炉裏テーブルに座り仕事風景を眺めているだけで実際は何も考えられていません。
たったひとつわかったことがあります。
写真に映る景色以外のものを撮らないと自分の本質ではないということです。

なんと恐ろしいところだと思いました。なんてところに来てしまったんだと思ったのです。
映画はすべて自分次第なんだということです。人生でこんな体験が何度訪れることか。
恐ろしいほどの自由をポンっと眼の前にみせられた、まな板の上の貧弱な映画作家です。

「川瀬さん、工房に波長を合わせてるように見えます」
座って呆然としてる私にあるお弟子さんが言いました。

「こんなオヤジの何撮るの?」(笑)
休憩時間の親方がみんなを笑わせます。

以後、私はお弟子さんたちと同じように頭に手ぬぐい姿となりました。
もちろん誰もなにも言いませんでした。